温泉とは [旅]
養老牛温泉 だいいち
北海道ツアーも何度目かになると
観光気分はすっかり抜けてしまう
まあ音楽をするのだから
当たり前なんだけれども
ツアーの計画は僕がたてるわけで
猫のツアーは基本が休み無しなのだ
長年やると判るのだけれども
妙な休息はかえって
体のリズムを狂わせる
朝ご飯を食べ,チェックアウトし
次の目的地に邁進する
リハーサルを終え
ふらりと散歩したりして,リラックス
食事をすませ,会場へ戻り準備
精神集中をして本番へ...
ライブが終われば一気に心身を解して
皆さんとの打ち上げに...
飲み食い喋り, 笑い倒して宿へ戻る
この繰り返しなのだけど
空気と土の香りと来てくれた人達が
いつも僕らの鮮度を保ってくれる
だから10日連続でもヘイチャラ
ただ,東京に戻ると一気に
雑巾の様に疲れが吹き出るのだが...
今回の北海道ツアーはどうしても
中標津の後のスケジュールが決まらなかった
こうなると...
OFFにするしかないじゃないか
こうして中標津の翌日は
完全に休みになった
こうなったら遊ぶ事しか頭に無い
以前から鮭の遡上を是非見たいと思っていた
北海道ツアー告知のトップの写真が白鮭なのも
そんな想いから
ただ勇んで見に行ったサーモンセンターの
標津川の堰はここ数日間の雨のせいで濁り
魚影が全く見えなかった
センター内で、引き込まれた鮭達の墓場を見るだけという
残念な結果になってしまった
その時に頭を過ったのは
中標津の師,栗山先生の言葉
「車で30分くらいのとこに最高の温泉があるよ」
予定のひとつだった牧場見学もすっ飛ばし
開陽台の展望もそこそこに
養老牛温泉へまっしぐら
山沿いに近づくとにわかに
秘境の雰囲気が漂うから不思議だ
羅臼岳から続く知床連山の隣
標津岳の麓にある養老牛温泉
先生の言葉が俄然真実味を帯びてくる
いつも冗談とギャグばかりの先生なので
さほど期待はしてなかったのだ
渓流の音が音量を上げだし
傾いた陽が陰を作り出したその先に
だいいち の看板が姿を現す
おう! 着 い たぁ
明かりが灯りだし
真っ赤な紅葉の中での
館の風情は抜群だ
勇んで車を降り入り口に地下づくと
入浴時間は終わりとの文字が
ガーンと目眩で立ち眩みがする
ここで引き返すわけ???
呆然と立ち尽くす三人の姿を見つけ
中から女性の救世主が...
「入浴のみであればどうぞ」の言葉
どうやら宿泊は満室の意味だったらしい
三人は風呂へ突進する
普通なら露天へまっしぐらなのだが
ここは内風呂も素晴らしい...が
通り過ぎて露天へ出ると
楓の赤と渓流が
惜しげも無く広がり
おもわず一人でドヨメク
ドボンと身を沈め必ず出る言葉
「生きてて良かった〜〜〜」
眼下にある一段下の湯を見ると
そこには"混浴"の文字が
新井武士と探索に出かけると
なんとモヤの奥に女性らしき姿が
マジかよ?と
慌てて新井武士に目配せすると
「かなりのお年ですよ ↓ 」の答え
やっぱりねぇ...
こうはならなかった...
気を取り直し,温まることに専念
ここ数日ぐっと冷え込んで来た北海道だが
この湯は迷わずジンジン温めてくれて
冷える頭部とのバランスが
僕には絶妙だった
丸太の湯船に入ったり
内風呂に戻ったりで
出てしまうのがあまりにも勿体なく
結局二人をかなり待たせてしまった
こうもならなかった
辺りはすっかり暗くなり
川の流れが絶え間なく響く時間は
身も心もデレデレにさせてくれる
絶滅危惧種のシマフクロウも
顔を見せてくれる木立の陰が
蝦夷地にいるんだなと
再確認させてくれる
一日しか無いOFFだったけれど
この場所を知った喜びは
何よりだった...
街に戻り先生と夕食へ
個室回転寿司で酒盛りをしながら
何度も何度も湯の感触を思い出していた
また来るなら絶対にこの季節だなと...
ほくそ笑んだ
驚きの新燃岳噴火 [旅]
驚きの新燃岳噴火
1月26日に宮崎県小林市の友人から
携帯に送られてきた動画を見て
愕然となった...
とうとう霧島連山の中の
新燃岳が突如噴火した...
映像は小林市から写したもので
小林には僕たちが毎年訪れる
もうお馴染みの フラワー がある
昨年は口蹄疫で大きな被害を受けた
皆元気がないんだろうなと訪れたけれど
それを全く感じさせない熱さで迎えてくれた
僕たちも思い切り乗ったね
素敵な夜だった
その日は昼間から 陶房はる の
有馬先生 の陶房で陶芸教室...
何年も前から誘われていたけれど
今回初めて実現した
やれば何とかなるだろうとの甘さは
僅か十秒で消滅...
あわわあわわと言ううちに
ロクロの力強さに勝てず
器は無残な形に...
先生が巧みに直してくれる
難しいのなんのって...
いやぁ~...酒を飲むと訳の分からなくなる
あの有馬先生の手が
ぴたっと器の原型を支え
生き物のように姿を現す...
これが器というものなんだと
初めて知る...
人類の祖先が器を作り始めたそのDNAが
この先生の血の中では活き活きと動き回り
指先から爪の先へと到達し
やがて形になる
いいものだね
霧島の麓に構えた陶房で
猫と語りながらひとり黙々と
器を創り続ける先生に乾杯だった
猫にも笑われていた...
その陶房から 新燃岳 までは眼と鼻の先
器は割れたりしてないだろうかとか
犬や猫たちは怖がっていないだろうか
風向きで降灰がひどくなっていないだろうかとか
あのハーブ園のハーブ達は大丈夫かなとか
気が気でならない...
幸い未だ人的な被害は無い様だけれど
まだまだ予断は許さないから...
収まるのをひたすら祈るしかない
思えば丁度10年前
僕は独りで霧島連山を縦走した
えびの高原から早朝出発し
韓国岳の壮大な火口跡を見て
新燃岳→中岳→高千穂峰をへ
霧島神宮へ下りて来た
夏の終わりの実に気持ちのいい
思い出深い縦走だった
ただ新燃岳の火口の縁を歩き
眼下のエメラルドグリーンの池が
実に現実離れをしていて怖ろしく
誰もいない頂上を歩く孤独感に
ぞぞっと襲われた事を覚えている
そして縁の真ん中あたりに差し掛かったとき
すーっと襲って来た頭痛に
いやな予感がして早足で風下を避け
新燃岳を通り過ぎた
きっと火口からの 火山ガス だったのだと思う
温泉地のような匂いが鼻に残っていた
その時にきわめて漠然とだけれど
この山はいずれ噴火するんじゃないだろうかと
思ったのも不思議ではない
雲仙普賢岳はまだ記憶に新しいし
桜島,三宅島,浅間山は日常的だ
僕たちはそんな島のほんの小さな平地に
ギュギュッとしがみついている
何時何処が大きな被害に襲われるなんて
誰にも分からない
今年も新生 猫 で是非この街を訪れ
皆さんの前で歌いたいと思っている
フラワーの伸ちゃん夫妻 ビビアン姉妹
オコタンペコ そして 陶房はる
たくさんのお客さん
皆かけがえの無い仲間達
音楽しか出来ない僕等だけど
必ず力になれると信じて歌おう
自然には立向かえなくても
人にはやれることがたくさんあるのだ
なにがなんでも乗り越えて行こう
僕たち "猫" もだ
佐賀への旅 [旅]
佐賀散策
昨年佐賀市の 浪漫座 で歌ってから
すっかり馴染みになってしまった佐賀市
父親の故郷でもあったから
叔父夫妻に会いに
私的に何度かは訪れていた
でもちょっとした縁で...
やっと念願の佐賀市で
しかも浪漫座という最高の場所で
二年続けて歌う事が出来た
福岡県と長崎県に挟まれ
どうしても地味な印象だけど
知ってくるとどうしてどうして
実に魅力的な土地なのだ
一昨年の唐津では
虹の松原の中の海浜館で歌った
その冬の武雄の インプット では
家族ぐるみでの歓待を受けたね
どちらも熱かった
そして佐賀市の 浪漫座
旧長崎街道沿いの旧古賀銀行
その建物をそのまま再生し
歴史民俗館として公開されている
その一階の大きなスペースにカフェがあり
横にPA機材などを持ち込んで
様々な音楽のライブも行われる
アコースティックな響きが
実に気持ちの良い空間
すっかり病みつきになった
今回も 坂井君 や 新子 さん
まる屋さん や 雷神さん 達の世話になり
至れり尽くせりだった
不思議な縁からの濃密な付き合い
いいものだね
打ち上げの翌朝は
大隈重信記念館 へ
早稲田に通った僕と内山修も
実際はこの人の事を殆ど知らなかった
綺麗に保存してある生家を見て
佐賀の街を後にして伊万里に向かった
水木しげるロード [旅]
全国何処へ行っても
元気のある街とそうでない街がある
よそ者の僕たちはある意味では
そのへんに妙に敏感なんだ...
鳥取件米子市の AZTiC laughs で歌い
その後はお奨めもあって境港市へ
僕はテレビドラマに極端に疎いけれど
「げげげの女房」というドラマの話は知っていた
視聴率が右肩上がりで
ヒットドラマになったという事も知っていた
だからといって「水木しげるロード」って...
何なのよ?.....?
行くまではこんな気分だった
道の看板に「米子鬼太郎空港」の表示が
えっ!えっ!え~~~っ!
そんなのありかよって思わず口に
こりゃ軽く考えていると怪我をするぜ
そんな予感がよぎる
普通の港町の光景が広がり
いったいロードって何処なのよ?
とりあえず車を止め
標識に従ってロード入り口へ....
ほうほう...
おっと!いきなり 鬼太郎 のブロンズ像が...
まるで近所の人が腰掛けているがごとく座っている
手のひらには 目玉オヤジ が!
いや~なんと根性の入った作品であるか!
しかも風景のひとつに同化してるじゃないか
これは子供騙しなんかじゃない
大人がしっかり騙されるもの
その域に達してるんだ!
来て良かった~!
これはこれだけの目的で来てもがっかりなどしない
この地で生まれ育った「水木しげる」の
血と涙の結晶なんだ~!
叫びたくなったね
眼から鱗....ポロポロ
いや~ロードの至るところに妖怪の姿が...
どれも最高の完成度
将来は国宝でしょう...など
頭の中は妖怪で一杯
紹介されて 水木しげる文庫 を訪れる
いや~ぁ 買いたいグッズで店中ぎっしり
しかも 怪奇猫娘 ねこ忍 猫町切符 まねき猫 等の
水木さんの猫テーマの作品を扱う猫舎道楽堂も姉妹店
もう何処へ行っても妖怪の国に入った人間の孤独を感じる
グッズは全部買いたい...はっきり言ってそう思った
妖怪にこんなに夢があったとは...
オヤジになったらどこかに置き忘れてきちゃったね
ディズニーランド
ユニバーサルスタジオ
そして 水木しげるロード
なんて言っちゃってもいいんじゃないか
僕ら世代には鬼太郎はやはり鮮烈だった
45年前に読んだ「墓場の鬼太郎」は大好きだったな...
いつの間にかコミックには縁がなくなったけれど
これを機会に揃えてみようか
ロード来客200万人突破のニュースを見たけれど
まだまだ旬な境港の水木しげるロードでした...
二年ぶりの八ヶ岳 [旅]
二年ぶりに山に登ることが出来た
いろんな場所を考えもみたけど
今年の不順な夏の空を考えて
お馴染みの 八ヶ岳 にした
やっとひねり出した休みなので
大きくスケジュールは崩せない
かと言って雨の中の登山は
怖くてまっぴらなのだ
こうした矛盾した条件の狭間をついて
予定の縦走は80%達成した
小屋に到着した直後に大雨になるなど
ツキにも恵まれ
露出した手足は真っ黒に日焼けした
大量の雨水を含んだ土と苔類の香り
山肌を覆う樹木の緑と空の蒼さを
痛いほど眼に焼き付けてきた
山の大きさはいつの時代も
古くからの信仰心と同じ様な
畏敬の念を僕に持たせてくれる
けれども身をもって感じたのは
2年ぶりに酷使した足の耐久力...
残念ながら明らかに弱っている
関節を支える筋肉も衰えている
それを意識しながらの登り下り
恐怖を感じた事も何度かあった
初めての顔合わせの3人だったけれど
それぞれのスタイルがあって
それも楽しい...
ikki さんはひと回り若いので
まだまだ馬力がある
Mitsuo 君は以前の軽快さが
やや翳りを見せ
至る所でよろめいていた
後ろからそれを見て
何度か笑わせてもらったし
明日はわが身と自重した
赤岳 から 横岳 を抜け
硫黄岳 にさしかかると
コマクサ の群生地がある
その数は一昨年よりも遥かに多く
手厚く保護されているのが良く分かる
嬉しい事だな...
その姿を見るだけでも
登る価値があるのだ
そう やはり女王なのだ
ザレ地にポツッと咲いていたひとつを
写真に収めた
山を降りてから訪れた 霧ケ峰 では
乱舞する 浅葱マダラ を見つけることが出来た
それは優雅に舞い蜜を吸う
群生する ヨツバヒヨドリ が好みらしく
側に近づいても恐れない
浅葱色というなんとも言えない蒼いマダラの羽は
それを広げるまでいつまでも待っていたかった
オオムラサキが国蝶なのだそうだが
僕ならこちらを選ぶな...
二年ぶりの クヌルプヒュッテ では
東京からの 香蘭女学園 の
ハイキング部の生徒と一緒になった
女の子20名のパワーは恐ろしかったけど
この自然に触れる事が出来る機会を
与えてもらえる事は素晴らしいね
先生たちとも夜遅くまで話が出来て
なんと食後は皆に歌まで披露してしまった
かぶりつきで聴いてくれたのには
思わず笑ってしまったけれど
立秋を山で迎え
赤トンボ軍団も飛び回っていた
高原の主役は ニッコウキスゲ から アカバナシモツケ へ
不順だった夏も終わろうとしている
大雨や台風や地震や...そして美しい自然
いろんなものと向き合った素晴らしい山の旅だった
鳥海山と月山 [旅]
鳥海山と月山
秋田から山形に向かい7号線を南下する
昨日 仁賀保 の駅前から望んだ 鳥海山 は
まだら模様の残雪を纏って美しかったけれど
目の前にぐんぐん大きくなるその姿に
旅の疲れはじわじわと癒されていった
右手には梅雨空の下で穏やかな日本海が広がり
7号線は蛇行しながら鳥海山を目指していた
県境に来る頃はその姿を大きく変える
仁賀保からの優美な姿から
目の前に迫る迫力からより男性的に感じる
山は美しい...
少なくてもその姿に人工的なものはひとつもない
日本海からの冬の風は大量の雪をこの山に降らせ
やがてその雪解け水は裾野をぬけて恵みとなる
ずっと変わらない自然のその営みは
やはり永遠のものであって欲しい...
そんな風に思いながらふと遠くに眼を移すと
忘れては困るとばかりに
月山 がその存在を主張してくれていた
鳥海山は「おくりびと」で象徴的だった
月山は「たそがれ清兵衛」で眼に焼きついたな
遠くに見えてもすぐにその姿を思い出した
登ることはもちろん素晴らしいけれど
その姿を眺めるだけでも多くのものを授けてくれる
いつも見えるからなんとも思わないと
土地の人は笑って言っていたけれど
もちろんそれでいいんだな
いつも見えるんだものね
子供の頃から 富士山 は当たり前に見えた
通った小,中学校の校歌にも歌いこまれていた
近所の富士見橋から見る夕陽に染まる富士は
今でも記憶に鮮やかに残っている
見に行けば今でもそのまま見えるはずだ
久しぶりに行ってみようか
男鹿半島と入道崎 [旅]
男鹿半島と入道崎 2008.5.7
秋田市 から 能代 へは
男鹿半島 を通る道を選んだ
かつてから訪れてみたかったところ
半島という響きは惹きつける何かがあるんだね
東京の友人からも男鹿の話はよく聴かされた
なまはげ や多くの 伝説 も
北国の風景と相まって
好奇心は脹らんでいった
東京から旅を続けた 内山修 の愛車トリビュートは
僕の運転でも頼もしく走ってくれる
秋田港辺りから海外づたいを走り
半島中央部へ
風が強く波は砂浜へさえも
その力を上から叩きつけている
大陸からの風が最初にぶつかるところ
その力が陸を少しずつ削り取ってゆく
途中あの有名な なまはげ館 に寄った
昨日の秋田市内のライブでは
お客さんから「ホント!なまはげそっくり」
と言われてた 石山恵三
確認のために並んで写真を撮るのが目的だった
そしてそれが実証された日になった
大晦日でのあの有名な風習は
ここでは毎日見ることが出来るそうだ
僕達は時間を気にしなければならず
しばらくしてここをあとにした
カーブやアップダウンも含め車は快適に進む
ところどころの風景の隙間から
青い海が顔を覗かせる
本能的に気が急いてきた
左右が開けて一面が空になる
半島の突き出た先端 入道崎 だった
その開放感たるや...思わず声になる
孤高にそびえる 灯台 を目指し
その天辺に立つことにした
ぐるぐる回る階段と
想像以上のきつさに
三人とも「こんなはずじゃなかった...」
ひざが笑い出した頃にやっと上りきる
遥か見渡す海と空と岩のコントラストは
思わず写真に収めてしまうしかなかった
それは今, 僕のパソコンのデスクトップになっている
見下ろすと人も数人が広々とした大地に立っている程度
食堂や土産物屋も暇そうにしている
下りて昼食をとることにした
僕は みさき会館 の うに丼 を...
昨晩の ライブ で勧められ
またわざわざ電話でその場所も説明してくれた...
美味しかったね
うには殻を開いたその瞬間の香りだった
雄大な風景とそこに流れる時間とが混ざり合って
地の果てはなぜか切ない
多くの人がここを訪れて
その時何を感じてきてのか
そんなことをばくぜんと思ってしまった
またここに来ることがあるのだろうか
旅の狭間にもらった時間は少なかったけれど
見たものすべてがいとおしく
忘れがたい余韻となっていった
クヌルプヒュッテその2 [旅]
2007.8.11
40年前のノートには僕のコメントは無かった
やっぱりなぁ...と思った
そういうことは実に面倒と感じるタイプ
そう自分を分析しているからだ
でも今回は書き残した
またいつか読む日が来るかもしれないからね
ノートには 吉田光夫 内山修 新田和長 陣山俊一
グズラ 西村よしき 西潟忠雄 の名があった
皆にも見てほしかったね
そんな機会があればいい
松浦さん は30歳の頃に,この クヌルプ を建てた
いまは80歳を超えても,この小屋の顔として接してくれる
釈然としていて鋭い眼の奥に思いやりがあるような...
つまりかっこいい老人なのだ
この日は松本に行くと言って車を走らせて行った
リビングには ヘッセ の作品からこの小屋の名をつけただけあって
彼の作品だけでなく多くの本が棚に並ぶ
吉田光夫 君は 十字軍 の本を読みふけていた
僕は久しぶりに触るギターを手に馴染ませる
とはいっても今回初めて購入した Little Martin
スケールも短いのでちょっと勝手が違う
音にも次第に慣れたので
二人で何か演ろうということになった
アイルランド民謡の Red Is The Rose
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
霧が峰 の丘の連なりは
20年以上前に旅したスコットランドや
アイルランドの丘陵地帯に似ている
羊こそいないがあの広陵感はそれを思い出した
僕は以前からこの曲が好きなので
何かの機会にやりたいと思っていた
二人のレパートリー第一号にしようか
携帯サイトから詞を引っ張り出し
iPodからコードを書き出し
サビのハーモニーを決めて
いざ練習スタート
吉田君は初めての曲に馴染むのに悪戦苦闘
僕は上下に飛ぶハーモニーをなかなか掴めない
コードもシンプルなようでなかなか複雑
はじめは不気味な響きの連続になった
次第に意地になり二人の集中も高まってゆく
夕食前頃にはアイルランドからやってきた
中高年デュオになっていた
今日は台風の接近もあって天気はぐずつく
お昼のお好み焼きのついでにビールに手が伸びる
とうとう怠惰な男の休日に到達した
つまりほろ酔いの中での演奏になっていたんだ
松浦夫人からは最後のほうは凄く良かったと褒められ
それだけで十分気分が良くなってしまった
この日は僕達以外に4人の60代の人たちが一緒だった
かつてここの近くにあった山小屋の常連だったらしく
やはり何十年ぶりに再会したのだそうだ
話しても話しても話は尽きない
自分たちのこと他の仲間達の事
離れた横では僕達が歌と楽器をかき鳴らす
夕食後は再びワインの栓をあけた
明日はここを後にする
いつかはやってくる別れの時
前の日の夜はもっともその感情が押し寄せてくる
僕達は Red Is The Rose を何度も何度も歌い
録音してはそれを聴きなおした
この部屋に染み込ませて行きたい
そんな気持ちだったのだろう
またきっと来れる
ただそんな気持ちだった
酔いは十分深く
歌を歌う事は素晴らしく気持ちが良かった
翌日僕達は出発した
たけちゃん が再び送ってくれた
三泊四日の休日
長い山からの旅だった
いつも今回が一番だったなと思う旅
今回もまさにそうだった
いつまでもそう思えていたいね
諏訪湖畔 で 鰻 を食べ
ビールを飲み
最後の贅沢に浸った
クヌルプヒュッテその1 [旅]
2007.8.11
八ヶ岳 を下りて 茅野 からJRで一駅
上諏訪から一気に登ったところが
日本有数の高原 霧が峰
今回は山帰りのザックを担いでやってきた
訪れるのは実に40年ぶり
大学時代に音楽サークルの合宿で
何日間かお世話になった クヌルプヒュッテ
ザ・リガニーズ が結成された場所でもある
僕はずっと以前からここを再訪したいと思っていたが
なかなかその機会も無く
今回登る山を八ヶ岳にしたのも
北八から 蓼科山 を抜け
白樺湖 から歩いて行けば
すぐそこが 霧が峰 じゃないかと
実に子供のような発想からだった
実際はそんな体力が残っているわけも無く
もう何日も日数が要る
駅には僕達の荷物の多さを気遣いしてくれて
オーナーの息子さんが迎えに来てくれた
なんとあり難かった事か
つづら折の道をぐんぐん上がると
いきなり高原の空気感が立ち込め
記憶にあった グライダーの滑空場 が右に見えてきた
観光バスの数も多い
そこから左に折れ ビーナスライン に入り
なおも細い山道をゆれながら登ってゆくと
突然山小屋が姿を現した
クヌルプヒュッテ だった
思わず声が出てしまった
ずいぶん手を加えてきたのだろう
40年の山の厳しい歳月の中にも美しさがあった
テラスにはご主人の 松浦寿幸 さんが出てきてくれた
挨拶はもちろん僕の同行者 吉田光夫 君が
彼はもう50年もこの小屋に通っているのだ 40年前にここクヌルプでむさ苦しい学生達が
何日間もここで合宿できたのも
吉田君の紹介があったから
何十人ものギターを抱えた20歳くらいの
無軌道な奴らだったもんね
ずいぶん迷惑な出来事だったのだろう
室内のリビングルームの雰囲気は
記憶の中にあったそのものだった
ただ風呂が薪から重油に変わったり
思い出の ランプ は電球に変わっていた
そして僕が寝泊りした屋根裏が
今回も僕らの部屋になった 松浦さん 奥さん そして たけちゃん の三人が
僕達そして他の二組の家族の世話を焼いてくれる
僕らは食前のビールを飲み
風呂に入り, ゆっくり山歩きの疲れを癒した
八千穂 からいらした小さな二人の子供連れの家族と
小淵沢 のお蕎麦屋さん いち の御一家だった 食後はこの小屋宛に送ったギターを二人で引っ張り出し
つい 海は恋してる を歌う
気分がいいとはこんな事なんだね
家族連れの人たちとも談笑になり
子供達にもて遊ばれながら
ワイン片手の夜はゆっくり更けていった
四十年前の自分とはあまりにも
時の過ごし方が違っていた事に気づく
その後は深い眠りだった
翌朝パンとコーヒーとのブレックファスト
うーんいいね...こんな朝は
高原の朝はこうじゃなくっちゃ
快晴の空は深く濃く
秋の気配さえ感じる
ゆっくり用意して吉田君の案内で
霧が峰高原の散歩になった
クヌルプの裏からすぐ高原に続く
身軽なので鼻歌も出るくらいだ
裏山 と呼ばれるこの山の天辺に立つと
遠く 北アルプス が飛び込んできた
かつて見て記憶に焼きついていたその場所は
間違えなくここだった
きれいな山だな...と思った記憶
その後その山達に登るなどとは
夢にも思わなかった
小学生の団体にまぎれ 蝶々深山 に登り
ニッコウキスゲ の大群に出会った
それは丘を埋め尽くすほどだった
それでもずいぶん減ってしまったらしい
監視員達もそれを食い止める努力を
困難ながらもしていた
アカバナシモツケ の群落
主張する ししうど
高原らしい植物達
歩くだけで十分楽しい
振り向くと 中央アルプス 御岳 乗鞍
北には 浅間山 が遠く噴煙を上げる
車山 に登ればきっと 富士 も目の前なのだろう
映画を見ているような錯覚さえ覚えた
きっと日本のど真ん中なのだ
クヌルプに戻り昼食をいただいた
ひと汗かいた後に塩味の チャーハン は美味しかった
この日は僕たち以外に年配の夫婦の一組だけ
夕食時にビールを飲みながらの談笑になった
新潟県から山を越えてやってきた
住まいは 柏崎 市だそうで
地震でまだまだ復旧が進んでいない中で
休暇などとっていいのかと悩んだそうだ
災害の大きさがテレビよりもリアルに伝わってきた
せっかくですからどうぞごゆっくりとねぎらい
僕らはギターを爪弾きながら夜が更けるのを楽しんだ クヌルプには50年前の創業時から
宿泊客が誰でも好きに書き込める ノート がある
当然何十冊にもなるわけだが
その棚から僕達は 1968年 のノートを引っ張り出した
40年前の夏の合宿の日にちがいつ頃だったか
まったく記憶に無い
7月のノートには僕達の痕跡は無かった
8月に入っても出てこない
69年だったっけ?と記憶はかなり曖昧になる
とその時
今の字と少しも変わらない吉田君の文字が...
「海は恋してる」発売中!
売り切れ間近!
ホンマかいな?!?
1968年8月31日付けだった
八ヶ岳縦走 [旅]
2007.8.5
久しぶりの 八ヶ岳 は好天に恵まれた
新宿から中央線のあずさで茅野に入り
バスでとことこ 美濃戸口 へ
準備をして30分ほど歩いたところで
怪しい雲行きとともに夕立
木陰で雨具に着替えしばらく雨宿り
やや雨足が治まったところで歩き出す
美濃戸の小屋で蕎麦を食べて上がるのを待つと
しだいに陽が出てきた
山の天気の出迎えを受けて
今日の宿の赤岳鉱泉 に着いたのは
予定をやや過ぎた頃だった
軽い足慣らしのはずの初日
でも足は痛めつけられた悲鳴を少し発していた
大丈夫かな...
同行の 吉田光夫 君も不安げだ
翌朝は曇りで目の前の横岳の岩稜が不気味だ
森の中を 行者小屋 まで快適に歩く
行者小屋 からは同じ道を辿らない様にと
キツイ 文三郎道 を選んだ
このコースは実は初めて
次第に角度がキツクなって
歩きづらい金網の階段になる
登りは心臓破りだけど下りは怖ろしそうだ
最後は鎖の岩登りになって 赤岳山頂 についた
いつも思うことは下から見上げて
「あんな高い所まで行けるのか?」
という不安...
しかし気づけば2時間強で登り切っていた
少しだけ湧き上がる自信...
コーヒーを飲んで出発
八ヶ岳の主稜線を下る
展望荘 を過ぎてまもなく 地蔵尾根 との分岐
衣替えをしたばかりのお地蔵さんに挨拶
いよいよ横岳の岩場が姿を見せた
山登りらしい両手を使っての登山は
人間の動物的本能を呼び起こしてくれて
実に楽しいものだ
子供の頃のジャングルジムの楽しさだね
横岳 の核心部を過ぎて 三叉峰 で一息
吉田君と向かい合って会話をしていると突然
彼の肩越しの岩の先端に カモシカ が姿を現した
その非現実的な瞬間に言葉を無くす僕
かカかカもしカかカか...
その威厳を持った姿は
一瞬のうちに何故この動物が
日本の 特別天然記念物 であるかを説明するに十分だった
永く山登りをしていても
始めて見る生き物に出会うことはまれだ
時々目を合わせ僕たちを観察するように
距離を置きながら時が流れる
三分ほどだっただろうか...
岩場を頭から垂直に駆け下り姿を消した
夏の毛の色はまさに岩の色そのもの
遠くに離れたら見つけるのは不可能に近い
厳しい自然を生き延びてきて
尚且つ種を残してゆくその逞しさに敬服した
硫黄岳 の小屋でラーメンを食べて休憩
徳仁親王 が登山して泊まられた碑が誇らしげに建つ
この小屋の付近は高山植物の女王 コマクサ が群生していて
それは見事な姿だった
数年前に来たときはこれ程ではなかったので
毎年小屋の人たちが地道に保護に努めているのだろう
無骨な山の男と弱く可憐な花との対象が微笑ましい
硫黄岳のスッパリ切り落ちた火口跡を横に見て
夏沢峠 に下って行く
ぐんぐん下がると小屋が見えた
しかし ヒュッテ夏沢 には誰も人がいないし
シャッターも下りて営業している気配は無い
数日前に電話で確認はとったのだが
いったいどうなっているのか
他にも数人困った顔をして佇む人がいた
待っていても時間ばかり過ぎるので
2キロほどさきの 根石山荘 まで行くことにした
森の中を10分ほど歩いたところで空からポツッ
そのうちにあっという間に夕立になる
残りの半分の距離を半ば駆け足で下った
小屋の戸を滑らせた時はずぶ濡れ
夏沢の小屋さえ開いていればと恨み節
根石山荘の気の良いお兄さんに迎えられて
風呂に入り暖を取った
硫黄岳の小屋と同じ経営だからだろう
この小屋の周りにも砂の斜面にコマクサが咲いていた
会話は出来なくても話しかけたくなるこの花の魅力は何なのか
夕食後は永い縦走の疲れがどっと出て
気づかぬうちに寝ていた
天気予報は梅雨前線と低気圧が頭上にあり
そこに寒気が入り雨と雷の大荒れの一日になると言っていた
まずは起きて様子見のつもりだったが
霧で小屋の周りは一面何も見えない
僕たち以外の二組のパーティーは朝食後に出発した
僕は状況を考え 北横岳 までの行程を諦め
今日の早い時間に 渋温泉 まで降りるつもりになっていた
ただどんなに頑張っても4時間以上はかかる
雨の下りはしんどいなと思っているうちに
強い雨が降ってきた
遠くには雷鳴が
僕らはすぐに決断した
ここで一日待機しようと
一日中雷と叩きつける雨で大荒れだった
小屋のお兄ちゃんは雨漏りを心配する
無線連絡で今日は僕ら以外には宿泊客はいないという
こういう一日は山ではつき物だ
大自然には逆らえないし
避けられる危険はかわすに越したことが無い
根石山荘の食事は特別だ
米も野菜もすべて山麓で手作り
味噌も手作りでその発酵の感じが絶妙
さすが信州だね
夕食はお兄さんも交え三人だけの軽い酒盛りになった
時間の流れはこの小屋で実に緩やかに変化した
翌朝は快晴だった
雨がすべてを流し去り
天狗岳 の頂上あたりから遠く 北アルプス の山並みが
くっきりと姿を現した
槍 穂高 乗鞍 御嶽 と天を突く山達が主張する
稜線から森の中を抜けまた稜線と
最高にハイな山歩きになった
昨日の大雨のせいで山に入る人も少ない
出会う人はほとんどいなかった
中山峠 を抜け にゅう へ
ここは 北八ヶ岳 が見渡せる絶好のポイント
深い森の上から地球が呼吸するのを感じた
白駒池 で昼食をとり
いよいよ山を降りるときが来た
麦草峠 は横断道路上にあり観光客も多い
麦草ヒュッテ でバスに乗り茅野駅へ向かった
登山は終わり 霧ケ峰 での何もしない日々に移る
自然と抱き合えた4日間だった
7/28(土)
新宿→茅野→美濃戸口→赤岳鉱泉
7/29(日)
赤岳鉱泉→行者小屋→赤岳→横岳→硫黄岳→夏沢峠→根石山荘
7/30(月)
根石山荘
7/31(火)
根石山荘→天狗岳→中山峠→にゅう→白駒池
麦草ヒュッテ→白駒池→下山