この頃思い出す事 南一<2005.3.17> [食と酒]
2005.3.17
京都を度々訪れるようになって,行きつけになった料理屋さんがあった。
三条河原町を下がって入ったところにある南一。
七席ほどのカウンターと,そこに向かい合う台所がこの店の全て。
しげさんと先代の娘廣子さんお二人が気持ちよく迎えてくれた。
十数年前に一人で訪れた時から昨年まで,
季節のならではの食事をいただいてきた。
そのためにならと普段はつとめて質素を通してきたつもり。
好きな寺を訪れ,通りを散策し,陽がおちてからここの暖簾をくぐる。
僕はその日一日の出来事を子供のように話し,
それをしげさんと廣子さんはニコニコしながら言葉を返してくれた。
明日時間があればここを訪れたらどうですか?とか,
この野菜ならここにあるとおもいますとか。
京都という街を少しずつ理解し始めた僕の好奇心は
その度に広がっていった。
この店に来ることが僕にとっては
京を訪れることそのものになっていた。
その南一も昨年店を閉めてしまった。
お二人が相ついで亡くなったからだ。
しばらくしてせめて外観だけでもと伺った店先の入り口は
硬く閉ざされたままだった。
名店が消えていった。
もろ胡瓜と煮アワビ
鰻八幡巻き
鯛の造り
じゅん菜の冷すまし
小芋,ミョウガ,えんどう豆,茄子
ずいきと大根おろし
鮎の塩焼き
鱧寿司
鱧子の玉子とじ
鱧の吸物
ご飯
お漬物(水茄子,胡瓜,キャベツの糠漬けと塩コブ)
2001年7月18日にいただいたもの。
すべてが鮮やかに甦ります。
実は、職業上の関係もあり、私も京都には何度訪れたかわかりません。特に、大学3年以降5・6年間は、かなり頻繁に足を運びました。目的は“古書肆巡り”です。学生の分際ゆえ、行きつけの老舗・馴染みの店といった場所はありませんでしたが、地図を手に、京都の隅々をバス・電車も使わずに歩き回ったものでした。京都の裏路地は、ほとんど走破したかもしれません。空腹になると、通りすがりの風情溢れるお茶屋で一休み…―山並みの夕焼けが、今も鮮明に脳裏に残っています。
東京は神田・神保町や早稲田にも、一日おきに出かけていましたが、東京ではどちらかと言えば「骨董」として扱われるような和装本・古筆切などに、運よく出会えることもしばしばで、現在も当時購入したものが数冊手許に残っています。手にした瞬間は、京都の“歴史”の重みを感じ鳥肌が立ちました…。“伝統”として長い時間・空間を超えてきた芸術の一端に、若いながら触れられたのは、実に貴重な体験でした。
もうひとつ、その合間に、大貴族の邸宅跡など、古典文学に描かれた場所を探索するのも大きな楽しみでした。それも、いわゆる名所・旧跡として著名な場所ではなく、普通なら見落としてしまいそうな小さな石碑しか残っていないような場所です。そこでしばし作品世界に想いを馳せるのですが、何も知らない通行人からは、今思うと、不思議がられていたかもしれません(笑)。
そんな気ままな旅からはすっかり遠のいてしまいましたが、随分と贅沢な時間を過ごせた気がします。例に漏れず、京都も再開発の波をかぶっていますが、歌舞伎や落語と同様に、“伝統”そのものとしての“京都”を―建物等の「物質」としてだけでなく、その空気感すべてを―、絶対に傷つけないで欲しいものです。“伝統”という財産は、決して金で買えるものではありませんから…。
今ならば、もう少し“大人の”京都を味わえるでしょうか(笑)。
P.S.長距離バスで早朝京都駅に着くと、駅ビルの地下にあった銭湯で疲れをとったものでした。強いて言えば、そこが“行きつけ”だったですね(笑)。
by ゆり娘のパートナー (2005-03-17 19:48)
いい体験ですね。旅の素晴らしさに気づくのが遅かった僕にとってはとても羨ましいお話しです。何となく有名だという事で訪れた"鞍馬山"でふと声をかけてくれたお坊さんの話に引き込まれ,それが古都に嵌まってゆくきっかけでした。行く事が多い時期は観光客が最も少ない酷暑のお盆の頃。噴出す汗をぬぐいながら川床で鮎をつまんだりすると,その美味しさに涙が出ます。どうもすぐ食べ物の話になるなぁ。
by tzneyan (2005-03-18 06:56)
京都の名店の話。料理の献立の粋さ、それとおかみさんらの人情が魅力だったのでしょうね。 かつては京都というと、いけずなイメージで付き合いづらい感じでした。 しかし京都フォークにふれあい、杉田二郎さんのファンらに知り合いになるうちに逆に大阪のほうが金の話が過ぎて人情が無くなってきたのでは…。これは極論ですね。 ただ大阪に名古屋資本が進出しているのを見ると悲しいものを感じます。名古屋の友達はいますが。 夏に京都というと宵々山コンサートですが、今年はその前日にNFD(なつかしのフォーク同窓会) が開催されます。もう手帳には予定が入ってます。 宵々山コンサートは円山公園音楽堂に朝から並びファンどおししゃべり合い昼ご飯をはさみ夕方に入場、夜まで楽しみます。 あれっ。どうしてもフォークの話に。 ごめんなさいね。 あの暑いコンサートも名物ですね。 それではまた。失礼します。
by 浜ちゃん (2005-03-18 22:01)
ご紹介してくださる話題、経験出来ることはいつかきっと・・などと思いながら読ませて頂いていましたが。「南一」さんのお話、なんだか切なくなりました・・。せめてお料理の業だけでも受け継いでおられる方がいらっしゃることを願うばかりです。
こうして無くなっていってしまうもの、無数にあるんですよね確実に。私の身近では、二十年近くお世話になった近所の焼肉屋さんです。月に一度は家族皆で食べに出掛けていました。自家製のタレで漬込んだお肉がとても美味しかったんです。自家製のキムチも。でも、お店の近くにチェーン展開している焼肉屋が出来て。それに追い討ちをかけるように狂牛病の発生が続き。ご主人がお年だったこともあり、数年前にとうとうお店を畳まれてしまわれました。ご近所の名店を守れるのなんといってもご近所の人達の応援のはずなのに・・。私はこのお店の味が好きだったので。いつの間にか焼肉は殆ど食べなくなってしまいました。引っ越されてしまわれたので、ご主人とお会いすることもないのですが。お元気でいらっしゃることを思うばかりです。
もっと身近といえば、両親のつくる料理ですね。私は家で食べる料理が一番美味しく感じるのです(といっても両親の出身地の郷土料理もありつつの普通の家庭料理ですよ)。自ら料理することには殆ど無関心だったのですが。両親の味を受け継いでゆけるのは私しかいないんですよね?!ちょっとばかり奮起して教えてもらおうかな・・と思っています。
P.S 『猫』に続き『あなたへ』が私の手元にやって参りました!中古レコード屋さんのご主人に感謝の気持ちで一杯です。顔も覚えてもらったし。常富さんと同世代のような感じの方なのですが。いろいろお詳しそうなので、お話伺えたらなぁと思っています(^^)
by キミ (2005-03-18 23:30)
浜ちゃんへ!一昨年,念願かなって祇園祭を体験しました。宵々山,宵山,巡行と三日間いたのですが,知っていればコンサートに行ったでしょうね。今度はあらかじめ予定に組み込みますよ。ザ・リガニーズ時代に始めて京都を訪れ,シルク・ホールというところでライブをやりました。ジローズが一緒でしたね。たしか学生時代の吉見祐子さんが司会をしてたような気がします。
by tzneyan (2005-03-18 23:50)
キミちゃんへ。いい話だね。焼肉屋さんの話...。気持ちが伝わっていたら良かったでしょうね。そして両親の出身地の郷土料理,絶対に受け継いで欲しい。それが本当の意味での文化なんだと思います。文明じゃなくてね。それがまたキミちゃんを通してどう変わってゆくのか...。素敵ですね。
by tzneyan (2005-03-18 23:58)
常富様
南一を御贔屓にしていただき、ありがとうございました。
廣子の甥の者です。
検索していて偶然ブログを拝見しました。
叔母が亡くなり早いものでまもなく9年になります。
店に周囲の環境は私が子供の頃と比べてかなり変わりましたが
店の中は祖父が店を始めた頃と何ひとつ変わっておりません。
店を継げる者が居らず、閉めてしまいましたが店の姿を残して
いくことがせめてもの務めと思っております。
by satoshi (2013-03-16 16:29)
satoshiさん、ありがとうございます。
もう9年ですか?
信じられないくらい年月の経つのは早いものです。
今でも京都を訪れる時は、お店の前を通ることにしています。
あの看板と南一という灯りを見るだけで当時が偲ばれて、叔母さまの笑顔が浮かんできます。
今でももてなして頂いた時のその季節のお料理の数々は、とても忘れることは出来ません。
それくらい南一さんを訪れることは、私にとっては特別なことでした。
年月が経ってもお店があのままでいてくれたらと思っていますし、いつかお店を継ぐお方が出てきてくれたらと、遠くから願っております。
コメント、ありがとうございました。
どうぞお元気でお過ごしください。
by tzneyan (2013-04-13 00:13)